ずーシャキ様の自主制作アニメ『ぼくとタヌキの約束』に出演させていただきました
2016年09月16日

ずーシャキ様の自主制作アニメ『ぼくとタヌキの約束』に出演させていただきました

動物の問題を取り上げた動画を制作していらっしゃるずーシャキ様が制作されたアニメ、『ぼくとタヌキの約束』に出演させていただきました。

毛皮の問題について考えるきっかけとして制作された自主制作アニメです。
タヌキ役で出演させていただきました。

※動画の後半に、タヌキが生きたまま毛皮を剥がれ、死んでしまうシーンがあります。
 悲鳴等は入っておらず、出血の描写もほとんどありませんが、苦手な方はご注意ください。04:20までは暴力描写はありません。



僕は大学で『日本人の「食」の思想』という卒業論文を書きました。
そのため、動物愛護のための菜食主義に関連して、人間が快適に生きるために動物を犠牲にすること――ファッションや美容のためのアイテムの材料にすること、動物実験をすること、釣りや狩りを楽しむこと、可愛がったり観察したりするために施設や自宅に閉じ込めておくこと、など――ついてもある程度は知識があります。

しかし、生きたまま毛皮を剝ぐことがあることや、毛皮を剥がれてもまだ息があって苦しみながら死んでいくことは、この作品への出演依頼をいただくまで知りませんでした。

アニメの後半で起こる出来事は、現実でも起きていることです。


※動物が生きたまま毛皮を剥がれています。こちらはアニメではありません。苦手な方はご注意ください。



僕自身は、肉食に対しても、毛皮に対しても、その他の動物の権利問題に対しても、「そこに善悪はない。あるのは人間がどう思うか、もっと言えば“自分がどう思うか、どうしたいか”だ」という考えを持っています。

元々、子供の頃から「この世には価値・意味・目的・善悪といったものは存在しない。あるのは人間の価値“観”だけ」と考えていましたし(参考:「自分を愛していい」という話)、『日本人の「食」の思想』においても、次のような結論に至っています。

 私はこれまで、現代日本人にとって納得のいく「食」との向き合い方を考えてきた。その結果、弱肉強食は「善でも悪でもない自然の営み」であると意味づけられたが、人間の高い共感能力によって引き起こされる「動植物への同情」については、いまだ剥き出しの状態で眼前に置かれたままである。本論文の締めくくりとして、人間の幸福のために殺されるものたちへの憐憫に、私なりの意味づけを与えたい。

 食べられるものへの憐れみ、食べなければ生きていけないことへの悲しみはなくせない。人間にできるのは、自分は他者を犠牲にしてでも快適に暮らしたいのだと割り切り、動植物の利用に自覚と覚悟を持つことだけだ。肉食動物が平然と肉を食べ、草食動物が平然と草を食べている一方で、人間は憐れみに苛まれながら生きるしかない。これは食事だけでなく、人間社会での競争についても言えることである。
 善でも悪でもない自然の営みに、人間だけが悲しみを覚えるのだ。

 では、人間は不幸な生き物なのだろうか。私はそうは思わない。
 動植物をかわいそうだと思える感性があるからこそ、人間は共同社会を築き、愛し合い、幸福の意味を考えることができる。他のどの動物よりも悲しみを知っている心で、他のどの動物よりも深い喜びを感じることができる。大量生産・大量消費が本当の幸福ではないと感じるなら、もっと納得のいく幸福な社会を目指すこともできる。
 動植物の殺生は悪ではない。そして、動植物に憐れみを感じることもまた、決して人間にとって悪いことではない。心の痛みに蓋をしてしまうのではなく、自分がそのような心を持っていることの意味を考えることで、少しだけでも、生きることを肯定的に捉えられるようになるのではないだろうか。

他者の犠牲の上に成り立っている自らの幸福について、知ったり考えたりする機会のないまま過ごしてしまうと、後から詳細を知ってそれを「残酷なことだ」と思った場合、今まで享受してきた幸福が、途端に穢らわしくおぞましいものへと転化してしまいます。
それはとても悲しいことだと思います。

だから、まずは知ることが大事だと思うんです。
その結果、菜食主義者や毛皮反対派になる人もいれば、「自分は他者を犠牲にしてでも快適に暮らしたいのだと割り切」る人もいるでしょう。
知らないで肉を食べ、毛皮を買う人がいるのが、一番問題だと思います。

知ったり考えたりするきっかけとして、ずーシャキ様の動画のような作品は、大変有効だと思います。
ソフトな絵柄のアニメーションだったら、暴力的なシーンが苦手な方でも見やすいですしね。


毛皮のファッション利用についてですが、僕としては、「毛の生えた動物」が可愛い・美しいのであって、「動物から剥ぎ取られた毛皮」は魅力が大幅ダウンしていると思うんですよね。
「美女が脱いだ下着」に多少の価値があっても、「下着姿の美女」本人には叶わないように。(下着単品の方が好きだという人も稀にいるとは思いますが……)

動物の毛並みや模様が好きだからファッションに取り入れたいというのはあっても、今やフェイクファーが開発されているので、価格や保存性を考えるとそちらの方がよくないですか?

そう言われて、「確かに」と思う方は、リアルファー製品は買わないようにした方がいい方です。
逆に、それでも「いや、私は本物の動物の毛皮がいいんだ」と言える方は、リアルファーを買っても精神的に傷つかないで済む方です。

どっちでもいいと思います。
先ほども言いましたが、とにかく「知った上で自分がどうしたいかを考える」ということが大事だと思います。
覚悟せずに他者を犠牲にするということは、元来共感能力が高く、優しさや憐れみを持って生きているヒトという生物にとっては、大変な精神的負担になり得ますから……。


最後に、もう一つ思考材料を提供します。

Wikipediaのフェイクファーのページに書いてあったんですけど、「フェイクファーは石油化学製品であり、有限の資源である石油を使って、毛皮に似た物を作る必要があるかどうかは議論が分かれるという指摘がある。本物の毛皮のほうが、持続可能な資源だとも指摘される」そうですよ。

「動物がかわいそうだからフェイクファーで我慢しろよ!」

「石油がもったいないからリアルファーで我慢しろよ!」

あなたはどちらに共感しますか?
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posted by Rei Yumesaki at 00:03 | 制作日記 音声作品 | 更新情報をチェックする
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