「自分を愛していい」という話
2016年05月04日

「自分を愛していい」という話

今日はふと、子供の頃のことを思い出しました。

考えてみれば、僕はせっかくブログをやっているのに、自分の人柄や考え方が分かるような記事はあまり書いてないですよね。夢やお得情報を語るばかりで、もっと深い話をしていない。
たまにはそんな記事も書いてみましょう。

附属池田小事件」をご存知ですか?
男が小学校に侵入して8人の児童を殺害したという、大変痛ましい事件です。
2001年に起きた事件なので、僕は当時小4でした。

母はテレビでそのニュースを見て、涙ながらにこう言ったんです。
「どうしてこんなに優秀な子たちが死ななければならないんだろう。代わりにうちの子が死ねばよかったのに」

その言葉がすごくショックで、僕は完全な部外者なのに、今でも何かあればすぐこの時のことを思い出してしまうんです。今日のように。


母は自分に厳しい人で、そして自分が嫌いな人でした。
だから自分の血を受け継ぐ子供のことも、よその子と比べて価値の低い存在であるとみなしていました。
「価値の高い人間」が幼くして亡くなり、「価値の低い人間」(自分の子供)がのうのうと生き長らえているということが、母にとっては泣くほどの不条理だったのです。

そんな母でしたので、附属池田小事件の前にも後にもいろいろエピソードはありますが、実際に亡くなった子の代わりに死ねと罵られるのは格別に衝撃的なことでした。
ペットの鳥のヒナが死んだ時に「お前もこういう風に死ね!」と言われたのも衝撃的でしたが、そちらは「身内」の死に母も取り乱しているんだろうなと理解できたので……。


「お前が死ねばよかったのに」と言われても、なかなか反論するのは難しいものです。
もし、僕が死ねば被害者のうちの誰かが代わりに助かったという状況だったら、「僕が身代わりになってあげるよ」と言わないということは、被害者に「死ね」と言うのと同じになってしまいます。

実際には僕が身代わりになることなんてできません。
でも、悪い出来事が起きた時に「自分じゃなくてよかった」(または「自分の身内じゃなくてよかった」)と思うことと、他人を犠牲にして生き残ることは、本質的には同じことなのではないでしょうか。
他人を蹴落としてでも生き延びたいという欲求。自己愛……。

では、母の言葉に対し、「本当にね。僕が代わりに死ねばよかった」と返せない僕は、池田小の子に「死んだのがあなたでよかった」と言っている酷い人間なのでしょうか。

「見知らぬ人の命より、自分の命の方が大事だ」と思うことは、いけないことでしょうか。


10歳の僕には、自分を正当化する理論や思想を打ち立てる必要がありました。
そして、無価値の思想」(世界は無意味・無価値だからこそ、すべての存在が許されている)に辿り着きました。


僕と他の子の間に価値の差なんてない。どちらも平等に無価値だ。
それは決して「いない方がいい」ということではない。無価値とは、プラスマイナスゼロ。「いてもいなくてもいい」ということ。

つまり僕はここにいていいんだ。
生きることを望んでいいんだ。
自分を愛していいんだ。
他人を愛するのも、自分を愛するのも、無価値なものを無意味に愛しているだけなのだから。どちらの愛も等しく無価値なんだ。人は何を愛してもいいんだ

僕は「殺されたのが自分じゃなくてよかった」と思うような人間だ。
もし誰かを犠牲にしないと生き残れないなら、迷わず自分のために他人を殺す人間だ。

でも、それでいいんだ。
そんな僕をこそ、僕は愛そう。

誰かが僕を憎むことも、僕が僕を愛することも、何もかも許される。
すべて無意味で、あってもなくてもいいのだから。
ああ、なんて優しい世界。


僕の「無価値思想」に興味のある方は、Re:I本館の哲学コーナーをご覧ください。
この記事と特に関連性の強いものを一部抜粋します。


◆「世界が無価値であることの証明」より
世界にあるすべてのものは、有っても無くてもいいのです。
嫌うべきもの、なくすべきものはありません。
たとえあなたが全人類から嫌われていたとしても、そんな評価は無意味です。
どんな嫌われ者だって、無価値なものに対して無価値な感情を抱いている無価値な自分を、無意味に愛していいのです。


◆「アリストテレスの友愛論からいじめ問題を考える 〜本当に自分を愛するということ〜」より
 アリストテレスは、「人は自分自身を最も愛さなければならない」(p428)という。それは、誰よりも自分自身こそが最も近しい存在であり、最大の友だからである。

 一生を自分の愛する人物と共に過ごせる喜びと、一生を自分の嫌いな人物と共に過ごす苦痛を考えれば、自分を愛することの重要性は明白だ。自分を愛せない人生は悲しみに満ちている。

 また、後述するが、自分を愛する人は「最も美しいことを行うべく奮闘」(p430)するので、結果的に「公的にはしかるべき適切なことがすべて行われる」(p430)ことになる。したがって、自分自身を愛せば、自分も他のすべての人も幸福になれるのである。


◆「日本人の「食」の思想」より
肉食動物が平然と肉を食べ、草食動物が平然と草を食べている一方で、人間は憐れみに苛まれながら生きるしかない。これは食事だけでなく、人間社会での競争についても言えることである。
 善でも悪でもない自然の営みに、人間だけが悲しみを覚えるのだ。
(※他者を犠牲にして生きることは「悪」ではないのに、人間は悩まずにいられないという話)


僕の人生そのものに興味を持ってくださった方には、こちらの記事をおすすめいたします。
人一倍臆病な僕が、自分の本心と向き合いマルチクリエイターを目指すようになるまでの話
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*タグ: 哲学 倫理
posted by Rei Yumesaki at 23:59 | About | 更新情報をチェックする
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