冬コミに応募していましたが、残念ながら落選でした。でも元々、ネットでも公開している&する予定のフリーゲーム集と、ネットでも販売する予定の効果音素材集しか持って行かない予定だったので、特に問題ないです!(だから落ちたんじゃ?w)
— 夢前 黎@BGM・SE・声の素材配布中! (@Rei_Yumesaki_PR) 2015, 10月 30
◎貴サークル「Re:I」は、残念ながら抽選洩れになりました。
というわけで、冬コミ(C89)落ちました。
でも、残念に思うどころか、安心している自分がいたのです。
それは、作品が間に合わなそうだからではなく、もっと根本的な悩みに由来する感情でした。
「リアルで人に会うのは恥ずかしい……///」
そう、実は僕は、ものすごい恥ずかしがり屋だったのです!\(^o^)/
人と会話すること自体は全然平気ですが、コミケでネット上の知り合いに会って「えっ、この人こんな人だったの?」と思われたり、コミケで知り合った人に以後ずっとリアルの容姿のイメージを引きずられたりすることが、例え自意識過剰と言われようと、どうしても恥ずかしいのです。
どう思われるかは問題ではありません。良く思われようが、悪く思われようが、身体を伴ったイメージを持たれることそれ自体が無性に恥ずかしいのです……。
実際は、コミケに行ったって、きっと誰も僕のことなんて覚えてくれませんよ。ましてや見た目なんて誰も見ないですよ。だから杞憂に違いありませんよ。
でも、なんというか、身体に縛られずに自分のイメージを作っていけるのがネットの良さの一つなのに、自ら神秘のベール(?)を破って顔出しすることに対して、思っていた以上に抵抗を感じている自分がいたのです。
これはナンセンスな羞恥心・抵抗感かも知れません。
しかし、僕のような活動形態の人間がコミケに参加することには、そんなくだらない苦痛を我慢するだけのメリットすらないのではないでしょうか。
コミケにサークル参加応募した動機は、通りすがりの人々に少しでも広報しようという、場当たり的なものでした。
今冷静に考えてみれば、ブースの前を通過しようとした時にふと立ち止まって、フリーゲームの詰め合わせCDやチラシを持って帰ったとしても、その人は家に帰ったら他の戦利品に夢中で、僕のことなんて思い出しもしないでしょうね。
一体どれだけの人が、他に「お金を出してでも欲しい」と思って手に入れた作品がいっぱいあるのに、通りすがりに受け取っただけのフリーゲームに価値があると思ってくれるでしょうか。買った作品をすべてクリアするまで、無料頒布物を取っておいてくれるでしょうか。万が一プレイしてくれたとしても、Read Meをきちんと読んで、わざわざ僕のサイトまで来てくれるでしょうか。次回作をプレイしてくれるでしょうか。
交通費と参加費と材料費(CD代や展示スペース作成費)に見合った成果が出るでしょうか。
……いえ、とてもそうは思えません。
やっぱり、コミケに参加するからには、せめて交通費と参加費くらい回収できる値段設定ができる頒布物を用意しないと駄目なんですよ!(当たり前)
コミケはやっぱり「同人即売会」。値段のついた作品がないうちは、参加する資格なんてないんだ。僕は応募したこと自体が失礼だったんだ……;ω;
※フリーゲームに値段がないからと言って、価値がないという意味ではありません。有料ゲームと無料ゲームでは、価値の方向性が違うということです。
フリーゲームのよさとは、「プライスレス」なところだと思います。採算度外視で自分の思い通りに作ることができ、公開後も気兼ねなくバージョンアップできる。そんな自由さの中でしか生まれない作品もあります。それは有料ゲームにはない、値段のつけられない価値なのです。
……でもコミケ向けではないのです´・ω・`
【まとめ】
・顔出しNGでミステリアスなイメージを保っていきたいなら、それを諦めてまでコミケに参加しなくてもいいのではないか。
・フリーゲーム等の無料頒布はコミケ向きではない。
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