Re:Iって何のサークル? と聞かれても……
現在、サークル紹介文はこうなっています。
『Re:I』は、音楽・効果音・声・画像のフリー素材及び有料素材、作曲、音声作品、ゲーム制作、文芸作品、哲学、PC関連のHow to記事、その他のテキスト等を扱う個人サークルです。
「え? 結局何のサークル?」って思われそうです。
ここで改めてRe:I本館のメニューを見てみましょう。
……うん、やっぱり何のサイトか分からん(笑)
そうです、僕自身にも、Re:Iが何のサークルなのか分からないのです。
こんなにコンテンツの幅が広い個人サイトは他に見たことがないのですが、ご存知の方いらっしゃいましたら教えていただけると嬉しいです。お手本になるサイトを探しています。
「素材」「ゲーム」「小説」を同時に扱っているサイトなら結構あると思うのですが、それと「哲学」なんかが同居しているのは珍しいと思います。
さらに言えば、Re:Iの場合は「小説」じゃなくて「文芸作品」なんです。演劇の脚本まで入っている辺り、筋金入りの雑食です。
そこに先日「音声作品」まで参戦しましたからね。もうめちゃくちゃですね。
しかもシナリオ・出演・編集「全部俺」状態ですしね。
それが僕の強みなのかも知れませんが、器用貧乏を体現しているだけな気もします^^;
去年前半「仕事辞めてゲーム作るわ」
去年後半(退職後)「今はちょっと別の仕事やってる」(これは分類するとPC関連に該当)
年初め「ゲームの気分じゃなくなった。小説書きたい。音声作品も作ってみたい」
昨日「音声作品できた。じゃーそろそろ小説書き始めるかー」
今日「あっ、その前に素材の英語版コーナー作ろっかな」
去年後半(退職後)「今はちょっと別の仕事やってる」(これは分類するとPC関連に該当)
年初め「ゲームの気分じゃなくなった。小説書きたい。音声作品も作ってみたい」
昨日「音声作品できた。じゃーそろそろ小説書き始めるかー」
今日「あっ、その前に素材の英語版コーナー作ろっかな」
この気まぐれさと来たら!
自分でちゃんとマネジメントしないと駄目人間一直線ですよ!
実際社会になじめず仕事辞めてますしね!(笑えない)
理想が高すぎて全然満足できなかった子供時代
僕は子供の時から、変な言い方ですが、いろんなことができました。(同じくらいいろんなことができなかったのですが、それは後述します)
◆2歳:「宇宙には始まりもなければ終わりもない」と言う(さすがに親の聞き間違いだと思います^^;)
◆3歳:七五調の詩を作る(※)
※「犬のしっぽはゆらゆらしてて 犬はきれいな目をしてる 夜になったら犬は寝る」
◆小学校低学年:オリジナル絵本
◆小学校中学年:弟を相手にした口頭ゲームブック
◆小学校高学年:作曲を始める 作文で賞を取る ドラマ制作(※)
※クラスの企画(学級活動)でドラマを作ってビデオ撮影した時の事。殺人事件か誘拐事件かでクラスの票がちょうど半々になったので、「誘拐殺人事件にすれば?」と言ったら満場一致で賛成、目論見通り主導権を握る。そもそもクラスの企画の候補にドラマを入れたのは自分だった気がする。僕が脚本を書いて、演出(監督)やって、一番おいしい犯人役まで演じたという、やりたい放題な出来事でした。
「なんでも自分でやりたがる」ワンマンな性格は、この頃すでに形成されていたと思われます。
◆中学校:オリジナル漫画 作曲 長編ラノベ 作文で賞を取る 立体作品
ついでに言うと、中学までは勉強もトップクラスにできたので、傍から見れば立派な優等生だったと思います。真面目で品行方正で、病気にもならず皆勤でしたしね。
こんなにいろいろできたのなら、さぞやちやほやされて育ったのだろうと思われるでしょう。
確かに、教師やよその保護者からは「理想の子供」として見られていたように思います。
しかし、人からの評価より自己評価を重視する性格のため、それはあまり意味のないことでした。
幼児の頃、母が心から褒めても「おだてて言うこと聞かせる気でしょ! その手には乗らないから!」と言っていたらしいです。自分の中の評価が高くなければ他人から褒められても喜べない、それどころか褒め言葉をお世辞ではないかと疑う、偏屈な子供でした。
本気で褒めているのが分かったとしても、「この人から見た僕は、その程度で褒めてやろうと思うレベルの存在なんだな……」と思っていました。嫌な子供です。
何と言っても、理想が高すぎたのです。
全知全能になって、あらゆる問題を解決したいと思っていました。
ちょっとくらいいろんなことができたって、褒められたって、全然足りないのです。
自分の理想は一生実現できない。
自分が周囲から思われているほど優秀でないことも知っている。
じゃあ僕は何を目指したらいいんだろう。
そんな少年期特有の虚無感に囚われながら、選択肢を広く保つため、とりあえず隣の市にある県で一番の県立高校に進学することにしました。
クリエイターになりたかったのに、自分で自分の夢を否定していた高校時代
高校では、「将来の夢」を探しながら、とりあえずやってみたいことを手当たり次第にやってみました。
・演劇部 音声編集技術の習得。春の全国大会に行くこともできました。
・文芸部 文芸作品を書く。これで全国総文祭にも出場。
・委員会の幹部もやっていた。
・一部では「校内一忙しい人」という異名が囁かれていた。
・作曲も家で続ける。
え、勉強?
勉強は全然しなくなりました。周りのみんなが頭よかったので、「勉強好きの皆さんが勉強して日本の未来を支えてくれるなら、勉強嫌いの僕が勉強を頑張る必要はないよね」という発想に\(^o^)/
得意な教科と苦手な教科で300位以上の差が出たこともあります。(※1学年320人)
演劇が楽しくて、一時期声優になりたかったのですが(俳優は人前に姿を現すのが恥ずかしいので……)、声優にはアイドル的な面も多いと知り、すぐに声優になりたいとは思わなくなりました。
ライトノベルの賞に応募してみたりもしましたが、二次審査落ちでした。(大学1年でMFの第7回に応募する前に、改稿前のバージョンで一度別の賞に応募していたのです)
この作品のタイトルは『パックス・アキバーナ 〜萌えは世界を救う〜』というのですが、これは当時の僕の「全知全能から数ランク下げた理想」でもありました。萌えや感動は、人種も国境も宗教も越え、人類皆で共有できるものだと思っていたので、創作や芸術は人の世を救い得ると信じていました。
作曲家か、小説家か、ゲーム作家にも興味がある。
でも全部は選べないよなー。というか普通に考えて例え1つでもなれっこないよなー。
いつまでも夢見てないで、“まっとうな”大人にならなきゃいけないのに。
でも、自分の将来が、全然見えないよ――。
様々な創作活動に打ち込む中で、漠然とクリエイターになりたいと思うようになったのですが、友達にはそう話す一方で、内心では「そんな非現実的な夢を持ってはいけない」「絶対無理だ」「諦めろ」「まっとうな道を進むんだ」と自分に言い聞かせていました。
対外的には夢を追う若者――「そうでありたい自分」を演じる一方で、本当は、臆病な自分にはその夢に向かって突き進むことはできないだろうと、自分を見限っていたのです。
だから、何とか将来の夢を“まっとうな”職業に変えて、「前はクリエイターになりたいと言っていたけど、もっとなりたいものが見つかったんだ!」(キラキラ)と言えたらいいのに、と思っていました。
僕は確かにいろんなことができるけど、でも、どれもプロになれるレベルじゃないだろう。
夢を見るのはやめるんだ。
傍から見れば充実した高校生活を送っていた僕ですが、結局将来の夢は決まらずじまいでした。
いえ、本当はクリエイターになりたかったのに、その夢を恥ずかしいものだと思い、認められずにいたのです。
それでも進路は決めなくてはなりません。
自宅から通えるところにたまたま難関と言われる国立大学があったので、中学→高校の時と同じパターンで、そこに進学することにしました。(地域の恵まれた教育環境に感謝)
「いい大学に行っておけば、選択肢の幅が広がるから」
そうは言っても、結局進路決定を先延ばしにしているだけだということは重々承知していました。
大学では、創作活動に応用しやすそうな「哲学」を学ぶことにしました。
モラトリアムを満喫した大学前半
大学前半は、創作サークルに入って作曲したり、自分でゲーム作ったりしていましたが、何よりも哲学に打ち込んでいました。
先生や他の学生と議論(相手を打ち負かすことではなく合意点を探ることが目的であるため、「討論」ではなく「対話」と呼ばれていました)するのがエキサイティングでした。
「万物は±0の無価値。この世には善も悪もなく、すべては無意味で、消えようが死のうがどうでもいいのと同時に、何でも、誰でも、存在していていい」という僕の世界観は、10歳ごろから一貫していたものですが、この時期にきちんと言葉にして提唱できるようになりました。
しかし研究者になるほど勉強好きではなかったので(「対話」や「講義」を楽しめたのは、勉強や研究が好きだったからではなくて、ただ自分が納得できる考え方を探したかっただけなのです)、やはり「普通に」就職しなければならないと思いました。
教授が講義中に「自分は小説家になりたくて、時間稼ぎのために院に進んだが、とても小説の執筆どころではなく、結局教員になるしかなかった」という体験談を語ってくださったことも、院に進まなかった理由の一つです。
覚悟が決まらないまま就活していた大学後半
この時期については、こちらの記事が詳しいです。
【実録! 退職物語0-1】クリエイターになりたい僕が就活を始めてから退職を決意するまでの3年間 就活編
本当になりたいものはクリエイターであり(それも、小説でもゲームでも音楽でも、その時表現したいものを表現するのに最も適したものを自由に選べる立場の人間になりたかった)、普通に就職するのはあくまでクリエイターとして成功できなかった時の「保険」「滑り止め」と考えていたので、特に「やりたい仕事」がなかった。
要は、「何のクリエイターになるかは決められないから、自分自身をブランド化してマルチクリエイターになろう。でもその前に、保険として普通に就職しよう」ということです。
クリエイターになんてなれっこない、でも諦められないという、情けないほどの心の弱さがにじみ出ています。
そんな甘っちょろい考えの人間が内定を取れるはずもなく、就活には相当苦しみましたが、最後には地元の優良企業に採用してもらうことができました。
僕の人生は、傍から見れば完璧なまでに優等生でした。
都会の大手企業に就職して家族や地元と疎遠になるということすらない、見事なバランス。
しかし、本当の僕は、理想にも現実にも怯えて震えているだけの、ただの臆病者でした。
就職 自分に失望し続ける日々の始まり
この時期については、こちらの記事が詳しいです。
【実録! 退職物語0-2】クリエイターになりたい僕が就活を始めてから退職を決意するまでの3年間 勤務編
「仕事続けても苦しいのなら、仕事辞めて失敗して苦しむのと何も変わらない」と思い、挑戦する勇気が出たんですよね。
そこまで追い詰められないと自分の気持ちに素直になれず、23歳まで優等生を演じ続けてしまった僕……。
どうしてそんなに臆病なのでしょうか。
それはおそらく、チビだったからです。(真顔)
健康な若者の中では間違いなく最弱の一角! 弱い心は弱い体から!(?)
僕がこんなに臆病に育ったのは、体格に恵まれなかったことが大きいと思います。
幼少期よりチビチビと馬鹿にされ、いじめられ、喧嘩ではかなわないから頭や口で勝負するようになり、生意気と罵られ、友達がいないからますますスポーツは苦手になって……この悪循環。
同年代にはまず勝てず、2つも年下の子にすら体格・体力で劣り、必死の抵抗もむなしく押し倒され押さえつけられてしまう屈辱。
ドッジボールをやれば皆が自分を狙ってくる羞恥。
背が低いためかボールが顔面に直撃してしまう痛み。
スポーツのグループ分けの際には、皆が自分を爪はじきにする悲しみ。
自分のせいでリレーで抜かされる申し訳なさ。
ただ小さいだけではない。チビでも運動神経のいい子はスターだ。
でも自分は、チビな上に運動神経が悪い。
自分は弱い。
その事実を突きつけられながら、暴力に怯えながら、敗北に慣らされながら育った僕が臆病な性格になるのは、自然な流れだと思います。
まあ、チビで運動神経が悪いからというだけ(だけ……か……?)で、そこまでちょっかいを出されたというわけではなく、他にも性格や口調に問題があったと思われます。特に転校直後は訛りが酷かったのでそれが大きそうです。そしてちょっかいを出された時の反応も、やっぱり「生意気」なのがよくなかったのでしょうね。
ところで、生意気な人というのは、本当は臆病であることが多いのではないでしょうか。
臆病な自分を隠すために虚勢を張るから、不自然になって一層生意気になるんですよね(笑)
これだけ書くと、子供時代はいじめられてかわいそうだったみたいに見えるかも知れませんが、先生や保護者からの人気は高かったので(それもいじめられていた原因かも知れませんが……)釣り合いは取れていました。今にして思えば、学級活動においては同級生からも結構頼りにされていたような気がします。
また、そんな幼稚ないじめやからかいは、成長と共になくなるだろうという楽観もあったので、絶望感はありませんでした。
実際に、中学に上がる頃には、むしろみんな小柄な僕を気遣って優しくしてくれるようになりました。それはそれで情けない気持ちになるのですが……。
こうして矮小な僕は、周囲の人々にからかわれ、優しくされながら、劣等感や羞恥心を育んでいったのです。
身長や運動神経よりも深刻な、僕に足りないもの
いろんなことが少しずつできる僕の「できないこと」の中で、スポーツ以上の重大さを持つものに、「恋愛」があげられます。
これはモテないというレベルの問題ではなく、「人を恋愛的な意味で好きになれない」ということです。恋をする能力が欠落している、またはストライクゾーンが異様に狭いのでしょう。
恋愛的な意味でなければ、かなり幅広くみんな好きなんですけどね。(だからこそただ一人を愛せないのかも知れませんが)
よく聞く悩みは「自分は恋愛する気がないのに周囲がうるさくて困る」というものですが、それとは違い、自分が人を好きになってみたいと思っても好きになれないのです。そこに水をやっても種が埋まっていないというか。火を近づけてみてもその心は不燃性というか。
だからこそ、僕は人が何かを愛する気持ちを大切にしたい。
好きになってはいけないものなんて、嫌われるべきものなんて、ないと信じたい。
(参考:世界が無価値であることの証明)
退職を決意できたのは、「親は自分の稼いだ金で老後を過ごせるだろう。自分は一生独身だろう。だからいざとなっても自分一人が死ぬだけだ!」と開き直れたからでもあります。
愛する人と家庭を持つ、そんな幸せを諦めるまでには、本当に辛く悲しい道のりがありましたが、今は穏やかな気持ちです。
遠回りを重ねて、やっと受け入れた自分の夢
僕は高校生の時から、自分がクリエイターになりたいと思っていることを自覚していました。
それも、「小説家」とか「作曲家」とか「ゲームディレクター」とか「声優」のように、「○○をする人」じゃなくて、「自分の作りたいものを自分の好きなように作れる人」になりたかった。
でも、臆病な僕には、自分の夢を受け入れる勇気がありませんでした。
馬鹿らしい夢は捨てて、“まっとう”になろうとし、そして何と、優等生を演じ切ったまま就職することができてしまいました。
そこでついに、優等生の仮面が剥がれ……。
自分の本心から目を背け続けていた代償に、僕は24歳という夢を追い始めるには少し遅い年齢で、引き返せない道を歩み始めることになりました。
そんな僕に、父は言いました。
「ここまで来るのに随分遠回りしたね」と。
いずれはここに来るのなら、もっと早く来ればよかったのかも知れません。
でも、臆病な僕にはきっと、このルートが合っていたんです。
不思議と後悔はありません。時間を無駄にしたという気持ちも。
この記事を読まれている方は、きっとクリエイターになることに興味がある方だと思います。
どうか、納得のいく道を見つけてください。
そして時々、この臆病者のことを思い出していただけると嬉しいです。一緒に自分の道を歩きましょう!
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